ガルガリだけではなく ぼっこりへっこんで 少し穴があいていました
溶かして 引っ付けて 削って
色塗って 完成! (織田)
ガルガリだけではなく ぼっこりへっこんで 少し穴があいていました
溶かして 引っ付けて 削って
色塗って 完成! (織田)
芦屋公園です この松並木いいですよね
よくここで遊びました
公園内のこの道は 40年前には 青い小さな小石が敷き詰められた
綺麗な道でした 風で飛ぶほど細かくなかったので
たぶん 雨などで 砂の中に埋もれていったんでしょうね
道をスコップで掘れば あの時の青い小さな小石がたくさん出てくるかもしれません
魚屋道は深江駅にあります 只今芦屋ですが深江まで歩いて行こう
43号線を西に進みます
43号線は昔の西国浜街道です
震災の時この辺から ずらーーーと高速がぶっ倒れていたのを1/17朝見た時
日本は終わったと思いました
結婚する前 嫁を神戸西区の家まで送って
1月16日 夜11時ごろ大阪方面の43号線のこの場所を車で
通りました
高速が倒れる約6時間前です
ここは 昔 芦屋ボールがありました
ボーリング場でした 手書きでしたね
横には 怪しい自動販売機がいっぱいありました
右が西国浜街道です
お地蔵さんがいらっしゃいます
西に進みます
お寺の参道跡があります
大日霊女神社です
ここまで来ました
魚屋道と西国浜街道の交差点です
南を見ていますが たぶん大昔は43号線の南側はすぐ海だったでしょう
この付近から 昔の人は捕れた魚を有馬まで六甲山越えで運んでいたようです
大変です
幕府が定めた正規の街道である宝塚から行く街道よりは
直線的に行く六甲越えを選んでいたのでしょう
今回はその大昔の人が大変だった道を歩いていきます
阪神深江駅で 難波と高嶋と合流
さあ 魚屋道スタートです
冷却水が漏れているのと 足回りから ギーギー音がするんだ
ミラーも動かないんだ
直してよ のご依頼
ミラーは本来 ASSYですが 分解して直してます
アッパーのボールジョイントが ガタガタになって異音がしていました
交換して異音は直りました ♪
ラジエターから水漏れしておりました
交換して直りました
お待たせしました(難波)
フランス人のマークグレースさんのお店
「このあいだはありがとう 車調子いいよ うちの店のお菓子食べてよ」
で 差し入れを頂きました
めっちゃ うまいです
おしゃれで とってもおいしかったです
ご馳走様でした
みなさん 行ってみてください
震災から23年 午前中親戚の家を見に行く為に
国道43号線を自転車で渡ろうとしたら 芦屋川から西の高速道路が
ずらーーーーーーーーと なぎ倒されていたのを目のあたりにして
日本は終わった と うな垂れていた事を今でも鮮明に覚えています
今日の新聞を見てみると 読売新聞社会面に とても大きな記事で
たまにお邪魔する 岡本の灘寿司さんが 掲載されていました
岡本にある灘寿司
45年目に突入する 老舗寿司店
2代目大将も 震災後すぐ1995年春から家業を継ぐことなり
24年目になるベテラン
震災で様々な事を乗り越え 懸命に働き続ける真面目職人
2017年のテレビの取材の映像です
●以前の(ヴェンチュラーウオーカー) 山登りの帰りに寄った 記事と動画
亡くなったお母様の お品書きを懸命に守り 震災前から価格は変わっていない
いずれは変更せざるを得ない時がやってくるには間違いないが
やれるところまで頑張るとの事
ちなみに 2代目大将は 六甲から上智大学に進んだインテリジェント職人
いっしょに働く奥様も 上智大学のインテリジェントおかみさん
でも きさくで 話しやすいですよ
行ってみてください♪
(注意)予約ができなく 行った者順番です
鈴鹿を走りに行くんだ
走りやすくしといて
の ご依頼
ブレーキローターは高速用の ロングスリットブレーキローターに交換
パッドもスポーツパッドに交換
走りやすさや速さには関係ありませんが
シルバーにキャリパーペイントして メルセデスのロゴを貼りました
フロントは直径で1mm太いスタビライザーに変更
ビルシュタインのダンパーにも変更
リアも直径で1mm太いスタビライザーに変更
これで ノーマル時よりも コーナーリングは格段にスムーズになりますよ♪♪
トップ10の中に軽自動車が6台もランクイン
エンジン始動時に ガラガラガラ!
って いやな異音がするんだ
直して
の ご依頼
タイミングチェーンが伸びて チェーンテンショナーが
チェーンを張りきれなくなっていました。
交換すれば直ります
もう少々お待ちください (黒田)
写真が掲載されていました
焦げ臭いの
直して
の ご依頼
ヘッドカバーガスケットの不良で エキゾーストにオイルが垂れてきていました
交換して直りました♪
青山学院の4連覇で幕を閉じた今年の箱根駅伝
ちょうど僕が学生時代の時に テレビ中継が本格的に始まりブームとなりました
僕の4年間は 順天堂大学の4連覇でした。
大学駅伝では 出雲駅伝 全日本駅伝 箱根駅伝の3つが主流
しかし 箱根駅伝は関東の学生陸上競技連盟が主催している いわゆる地方大会
しかし 一番注目され 学生の今後の進路にも大きく影響する大会でもあります
地方大会なので 関西の大学はいくら速くても出場できません
三大大会の距離を比べてみると
箱根駅伝
全日本大会
出雲駅伝
箱根=長距離 全日本=中距離 出雲=短距離
の順になっていますね
箱根は距離が長いだけではなく 過酷な5区の山登りと6区の山下りが
ある事で 数々のドラマを生んできました
1980年代から正月のテレビ放映も本格的に始まったこともあり
地方大会ながら 日本で一番注目される大学駅伝大会となっています
それがゆえに 強い選手は関東の大学に進学してしまい
関西地区を含めた 関東以外の大学には強い選手が集まらない傾向になっています
しかし 全日本では
立命館大学が16位で奮闘している!
箱根駅伝も是非 門戸を開いて関東以外の学生にも予選会からでいいので
参加可能にしていただきたいです
箱根駅伝を全国大会にも! と以前から話があったものの
なかなか 実現しない理由は少子化が原因ではないでしょうか
箱根駅伝の運営は 関東学生陸上競技連盟
つまり 関東だけで勝手にやっているので 関東だけで決定できる?
箱根駅伝出場は 大学全体のイメージアップと知名度アップに大きく貢献します
少子化が進む時代 受験生と入学生の確保が大学側にとって かなり重要
箱根駅伝を全国大会にしてしまうと 選手は関東だけには将来的に集まらなくなり
全国に強い選手が分散すれば もともと関東だけの大学が参加できたのに
競争率が上がり 関東側の大学にとって 全国大会にするメリットは一つも無い
だから 関東の大学連盟側からすれば
「地方大会なのに 勝手にメディアが大きく取り上げているだけで
全国大会にするつもりは無い。 関東の地方大会に出たけりゃ
関東の大学に来なさい」
と 主張すれば どうしようもない?
一方大学の進学率は?
大学進学率は80年代の35パーセントから 60パーセントに迫る勢いであります
しかし ピークの半分の人数になろうとしている 若者人口をカバーするには進学率が
70パーセント以上にならなければ 大学生の数は減り続けている計算になります
関東の大学側の経営の都合もあるのでしょうが 是非箱根駅伝を全国の大学からも
挑戦できるようにして欲しいものです
1984年
当時のチューニングカーは 普通ではないオーラをかもし出し
神秘的でした
かっこいい!
1986年のルボランです
E30 M3が発表された時は感動しました
めっちゃかっこよかったです
いいですね♪
オイル漏れしているヘッドカバーガスケットの交換
ATオイルが真っ黒けでした
ATオイルはかなり重要です
みなさん 忘れないでください
29歳まで 働いていた職場の上司と後輩達とで奈良若草山の旅館で忘年会
(生駒山が見えます)
上司は もう71歳 すでに引退されています
僕が入社したのは22歳 上司は当時43歳
今の僕よりも全然若かったんですね 不思議な感じ
会社は三菱マテリアル建材 ブレーキ事業部 開発室
仕事は自動車ブレーキパッドの研究開発でした 毎日ブレーキパッドを製作しては
ダイナモ試験機でテスト 自分より大きいイナーシャ 直訳すれば慣性ですが
僕達は巨大フライホイール(はずみ車)の事を工場用語でイナーシャと呼んでしました
その多数のイナーシャから数枚チョイスして接続して
車種ごとの設定をしていました。
テスト中は全自動ですので その間 実際の自動車にも装着して
一般道でテスト♫
楽しかったです♫
入社と同時に VWポカールレース車両を購入したのですが
なんと開発棟の中に置かせてもらっていたのです
当時 レース用ブレーキの開発は行っていなかったうえに
製造部 品質管理部 倉庫部などの他部署の人達も工場敷地内に大勢いる中
個人のレースカーを会社に置かせてもらうなんて 今の時代では考えられない
本当にいい時代でした 感謝しています
仕事が終わってからは 自分のレースカーのブレーキパッドの自由研究開始!
様々な素材を攪拌(混ぜあわせる)して
熱プレスで整形して研磨
そして 熱処理後 真っ赤な高熱の鉄の塊で表面熱処理で完成
何度も富士スピードウエイで テストしました
最初から最後まで全部1人でやっていました
だから めちゃくちゃ面白かった
(1990年の三菱工場)
※グリルの青色ガムテープは サーモスタッドを外して
テープで水温の温度管理をしていました
学生時代から乗っていた1988年シロッコ16Vと撮影
三菱系列なのにVW2台
ミラージュカップをやればいいのに(笑)
このゴルフ2 今はカリカリにチューンしたヴェンチュラーゴルフです
28年目です
※右後ろのピンクのゴルフは 今や日本一速い男 本山哲選手
何周かバトルしました
会社員時代は 好き勝手やって なんでもありでした
なぜか あまり怒られることが無かった 今考えると謎です
会社は とても楽しく何の不満もありませんでしたが
どうしてもヴェンチュラーという業態を 始めたかったので
29歳の時に退社したのです
だから 年末は毎年 後輩達と様々な上司を招いて感謝の意味も含めた
忘年会を行っているのです
自動車で揉まれて 自動車で育ち 今も続けられている事が幸せです
(左に東大寺が見えます 左には葛城山も見えます)
さあ よく飲んでよく話してぐっすり寝たので 帰ります
行きは第二阪奈で来ましたが 帰りは国道308号線で帰ろう!
25年前通った事がありますが 日本一狭くて急??な国道!
これ国道です
狭い
お~~~い
生駒山の暗峠の前に まずは矢田丘陵を越えていきます
大阪難波と奈良を結ぶ歴史街道!
国鉄関西線 阪奈道路が無い時代
この道沿いは大変栄えていたと思います
だから この道に対して敬意を払い国道に指定したのでしょう
矢田丘陵を登っています
このへんまで来ました (赤丸)
矢田丘陵を超えれば 近鉄生駒線が見えてきました
さあ 次は生駒山の暗峠に登っていきます
標識も出てきました
本陣跡と書かれています
江戸時代 大名が泊まられたのでしょう
大阪難波と奈良を結ぶ主要道路だったからでしょう
大昔には お茶屋さんや一般の人が宿泊する場所も
たくさんあったのでしょう
信貴生駒スカイラインをくぐります
いよいよ暗峠です
峠のお茶屋さん
暗峠です
標識の向こうは 東大阪市
歴史街道ですね
生駒側から 308号線沿いには ちらほら民家があります
大昔栄えた道の名残でしょう
写真ではわかりにくいですが 大阪側はかなり急坂です
大阪市街が見えてきました
急坂です
何度もいいますが かなり急坂です
近鉄奈良線です
ゆっくり 歩くような速度で下りてきたのにもかかわらず
ブレーキパッドの焼けた匂いがすごいです。
久々の308号線でした
大阪から奈良 そして奈良から伊勢 この道は昔大変栄えたと思えば
とても楽しかったです
江戸時代には本陣まであったらしいので この道は立派な国道ですね
日本一急坂で狭い国道 行ってみてください
(注)車高の低い車は無理です ノーマルでもポルシェ フェラーリは無理です
普通のセダン ワンボックスは大丈夫です
ヴェンチュラーは今年20周年をむかえ 21年目に突入します
皆様に役に立つ事を見つけ出し これからも切磋琢磨して
精進してまいります
今年もよろしくお願い致します
今年も切磋琢磨を怠らず精進してまいります
今年もよろしくお願いたします
昨日より工場はお休み頂いておりますが
本日も事故車両の引取があります。
まだまだ終わりません
年越しでお預かりしている車両もたくさんあり
年始から フル回転の予定です
今年1年お世話になりました
来年もよろしくお願いします
冬の暖房には不可欠なヒーターコアの破損
ここまで分解しないと交換できません(汗)
交換終了
組み上げていきます
おまたせしております
板金塗装などは 近くに ヴェンチュラー第2工場がありますので
作業は可能ですが 車検整備が 只今満車状態です
新たなお仕事の引き受けが 年内困難になりました
1月の中旬まで只今混み合っておりますので 車検のご予約は
お早めによろしく御願いいたします
申し訳ありません
※只今スタッフ募集中です 洗車スタッフ 掃除スタッフ 整備士です
ヴェンチュラーで 働いてみようかな? と思われる方は
どんどんお問い合わせください
洗車 掃除スタッフは もちろん整備士の免許はいりません
男性 女性 どちらでもOK 自動車の運転が出来る方に限ります
水漏れがV型エンジンの真ん中から漏れ始めていましたので
中央にある インテークマニホールドを全部取り外しました
3本のラジエター配管から漏れている事を確認
週末には部品が届いて折り返しが始まります
(入江)
ヒーターコアが爆発した 直して
の ご依頼
純正はサイドタンクがプラスティック製
今回は全部金属で特注製作
真鍮製 全部金属
これなら われない
神戸指定有形文化財 旧乾邸の観覧会に参加してきました
乾汽船株式会社を設立した乾氏の旧自宅 昭和11年に建造されたそうです
もう80年以上前になるんですね
乾氏は 日本屈指の名門クラブである 廣野ゴルフクラブと小野ゴルフクラブの
理事長であった事でも有名です
立派です!
すごい!
玄関には立派な階段が!
天井にはぶどうの彫刻があります
所々にぶどうがあります
ぶどうは 繁栄 富 知恵の象徴でもあるので
旧乾邸の中ではたくさん見ることができます
立派な蔵です
廊下が 2つあります 旧乾邸には住み込みのお手伝いさんや
通いのお手伝いさんもいたので 家の中が2世帯住宅のようになっています
左の廊下は 家族専用の完全プライベートルームだったようです
扉を閉めると 家の中にもう一つの家がある構造です
ここは お手伝いさんの待機部屋のようです
各部屋に呼び出しベルがあるようで ブザーがなると
鳴らした部屋が点灯するようです
いい景色です
御影周辺には すごい家がたくさんありますね
家の中に川があります
川の水は 敷地をでれば 溝に流れていっていました
ガレージのように見えますが
当時は馬車の置き場で 馬小屋だったようです
馬の水飲み場です
かっこいい!
80年以上前とは思えない モダンで立派なご自宅です
阪神大震災も乗り越えてきた建物
素晴らしかったです
昨日 奥池に行ったら 雪が降り始めておりました
朝六甲を見ると雪が積もっていました
寒くなってきましたね
エンジン不調でお預かりのW210
定番のコイルでもなく 各種センサーの異常でもなく
ヘッドカバーを分解して調査してみたところ
エンジンを載せ換えたほうが 早い上に安い事が判明
T様とも相談して 載せ換え開始
直りました お待たせしました
いつもハードな走りを している清水君 クラッチをつないだら
後ろから ドカンッ て音がするんだ
直してよ
の ご依頼
デフマウントのアームが折れている
メンバー交換が必要ですが 高額ですし
もっと強度を上げるために修理します
補強して 溶接しました
新品よりも強度が出てますよ!
もう2度と折れません!
「浜崎さん 今日走ってて クラッチつないだら ガッコンガッコン
めっちゃ変な音するねん 日曜日ユーロカップ行くのに これやったら
でられへん みてよ」
のご依頼
デフマウントのアームが経年劣化で 折れています
メンバーおろして 鉄板で補強して溶接します
日曜日は出場できるよ♪
西宮の関学近くからずーーーーと 真っ直ぐ進んでいます
真っ直ぐ行けば 水道筋商店街付近まで来ちゃいました
串かつ 船越
有名ですね
僕も一度食べに来た事があります
お地蔵さんがいらっしゃいます
ここです
ステーキのお店ですね
ここも一度食べに来ました
水道筋商店街アーケードです
大正時代に 西宮から神戸に水道管が通されたらしい
ずーーと真っ直ぐ来れた理由は 水道管が関係しているのか?
面白いですね
紳士服屋さんです
なんと大正11年創業!
すごい お肉屋さんです
おもしろそうだから 今度買いに来てみよう
こりゃ 面白そうだ!
今度飲みに来てみよう
阪急王子公園駅だ
行き止まりか?
くぐれた
王子公園横の歩道
振り返ってみると 見事に真っ直ぐの道だ!
おもしろい!
歴史街道の名残がある
今の山手幹線を渡って 振り返ると
上から見ると 見事に真っ直ぐ
面白いですね!
まだまだ 真っ直ぐ進みます
お地蔵さんがいらっしゃいます
ここです
お地蔵さんがいらっしゃいます
ここです
まだまだ 真っ直ぐいきます
新神戸オリエンタルホテルが見えてきた!
いや 今はANAクラウンプラザホテル神戸です
新神戸OPA 懐かしい
あーーーーー突き当りです!
ここまで来ました
関学付近から 真っ直ぐずーーーと来ましたが
ついに 突き当り
でも 本当にここは歴史街道の突き当りなのか?
大きな赤丸に筒井八幡神社があります
歴史街道は参道の前を通るはずだから
王子公園を過ぎて 2つのお地蔵さんを過ぎたら
地図に描いたように 歴史街道は南下していたのだろうと考えます
上ヶ原八幡神社から出発して 筒井八幡神社まで 真っ直ぐ来ました
ここから 三宮までは すぐなのですが 地図をみても
ここからは 名残が全くありません
ここで 歴史街道は終点です
もちろん 大昔はまだまだ 道は三宮 いや 須磨
いや 明石まで続いていたのだろうと思う
関学付近からの 旧山手幹線? には 神社の参道とお地蔵さんが多数存在しました
途中で終わっちゃいましたけど 間違いなく 大昔の山手幹線だったのだろうと
予想します 信じます
西国街道は昔の国道で いろいろ記事がありますが
この旧山手幹線?を取り扱っている記事がありません
誰も知らない歴史街道なのか?
丁度お昼になったので
高校時代の同級生の三宮のお店でお昼ご飯を頂きました
そば飯 うまい!
また どこか面白そうな道を見つけたら 自転車で行ってみよう
あーー面白かった
4気筒 ダウンサイジングターボの開発を進めていくようです
6気筒は場所をとるし コンパクトな4気筒ターボが
重量配分や燃費などを含めて すべての面で車両開発には有利と考えたのでしょう
E30 M3も 当時シルキー6と呼ばれた 6気筒を採用せず
重量配分と軽量のメリットを優先して4気筒をチョイスしていました
当時僕はこのM3を所有していましたが
初めて運転した時 アイドリングが がさつで なんだこれは?
が 第一印象でした
4気筒のうえに 内部構造が 油圧タペットを採用せず
軽量である シム式タペットなので
余計にエンジン音が がさつに聞こえたのです
しかし アクセル全開で回せば 高回転まで綺麗に回るので このデリカシーの
無い エンジン音はすべて速く走るためにあるのだ と考えれば
逆に がさつさが かっこいいと感じた事を覚えています
しかし スムーズさでは4気筒は6気筒には勝てない
街中のエンジンで6気筒が一つ無くなるのは寂しいですね
※ 最近のフィアット500に2気筒があるのを知らなくて
恥ずかしながら 初めて乗ったとき
あれ? このエンジン調子悪いぞ えらい振動だ
とボンネットを開けた瞬間
あーー 2気筒だ! と びっくりしました
やはり スムーズさは 気筒数が多いほどスムーズです
2台とも車検
奥の911は只今クラッチオーバーホール中
お待たせしております