29歳まで 働いていた職場の上司と後輩達とで奈良若草山の旅館で忘年会
(生駒山が見えます)
上司は もう71歳 すでに引退されています
僕が入社したのは22歳 上司は当時43歳
今の僕よりも全然若かったんですね 不思議な感じ
会社は三菱マテリアル建材 ブレーキ事業部 開発室
仕事は自動車ブレーキパッドの研究開発でした 毎日ブレーキパッドを製作しては
ダイナモ試験機でテスト 自分より大きいイナーシャ 直訳すれば慣性ですが
僕達は巨大フライホイール(はずみ車)の事を工場用語でイナーシャと呼んでしました
その多数のイナーシャから数枚チョイスして接続して
車種ごとの設定をしていました。
テスト中は全自動ですので その間 実際の自動車にも装着して
一般道でテスト♫
楽しかったです♫
入社と同時に VWポカールレース車両を購入したのですが
なんと開発棟の中に置かせてもらっていたのです
当時 レース用ブレーキの開発は行っていなかったうえに
製造部 品質管理部 倉庫部などの他部署の人達も工場敷地内に大勢いる中
個人のレースカーを会社に置かせてもらうなんて 今の時代では考えられない
本当にいい時代でした 感謝しています
仕事が終わってからは 自分のレースカーのブレーキパッドの自由研究開始!
様々な素材を攪拌(混ぜあわせる)して
熱プレスで整形して研磨
そして 熱処理後 真っ赤な高熱の鉄の塊で表面熱処理で完成
何度も富士スピードウエイで テストしました
最初から最後まで全部1人でやっていました
だから めちゃくちゃ面白かった
(1990年の三菱工場)
※グリルの青色ガムテープは サーモスタッドを外して
テープで水温の温度管理をしていました
学生時代から乗っていた1988年シロッコ16Vと撮影
三菱系列なのにVW2台
ミラージュカップをやればいいのに(笑)
このゴルフ2 今はカリカリにチューンしたヴェンチュラーゴルフです
28年目です
※右後ろのピンクのゴルフは 今や日本一速い男 本山哲選手
何周かバトルしました
会社員時代は 好き勝手やって なんでもありでした
なぜか あまり怒られることが無かった 今考えると謎です
会社は とても楽しく何の不満もありませんでしたが
どうしてもヴェンチュラーという業態を 始めたかったので
29歳の時に退社したのです
だから 年末は毎年 後輩達と様々な上司を招いて感謝の意味も含めた
忘年会を行っているのです
自動車で揉まれて 自動車で育ち 今も続けられている事が幸せです
(左に東大寺が見えます 左には葛城山も見えます)
さあ よく飲んでよく話してぐっすり寝たので 帰ります
行きは第二阪奈で来ましたが 帰りは国道308号線で帰ろう!
25年前通った事がありますが 日本一狭くて急??な国道!
これ国道です
狭い
お~~~い
生駒山の暗峠の前に まずは矢田丘陵を越えていきます
大阪難波と奈良を結ぶ歴史街道!
国鉄関西線 阪奈道路が無い時代
この道沿いは大変栄えていたと思います
だから この道に対して敬意を払い国道に指定したのでしょう
矢田丘陵を登っています
このへんまで来ました (赤丸)
矢田丘陵を超えれば 近鉄生駒線が見えてきました
さあ 次は生駒山の暗峠に登っていきます
標識も出てきました
本陣跡と書かれています
江戸時代 大名が泊まられたのでしょう
大阪難波と奈良を結ぶ主要道路だったからでしょう
大昔には お茶屋さんや一般の人が宿泊する場所も
たくさんあったのでしょう
信貴生駒スカイラインをくぐります
いよいよ暗峠です
峠のお茶屋さん
暗峠です
標識の向こうは 東大阪市
テレビでの紹介
歴史街道ですね
生駒側から 308号線沿いには ちらほら民家があります
大昔栄えた道の名残でしょう
写真ではわかりにくいですが 大阪側はかなり急坂です
大阪市街が見えてきました
急坂です
何度もいいますが かなり急坂です
近鉄奈良線です
ゆっくり 歩くような速度で下りてきたのにもかかわらず
ブレーキパッドの焼けた匂いがすごいです。
久々の308号線でした
大阪から奈良 そして奈良から伊勢 この道は昔大変栄えたと思えば
とても楽しかったです
江戸時代には本陣まであったらしいので この道は立派な国道ですね
日本一急坂で狭い国道 行ってみてください
(注)車高の低い車は無理です ノーマルでもポルシェ フェラーリは無理です
普通のセダン ワンボックスは大丈夫です
ヴェンチュラーは今年20周年をむかえ 21年目に突入します
皆様に役に立つ事を見つけ出し これからも切磋琢磨して
精進してまいります
今年もよろしくお願い致します